剣も桜も



沖田総司という男が、時に予想もつかない行動を起こす事は周知の事実だ。
さすがに以前の部下で現在は己の妻となった女子のように、対外的に大問題に
なりかねない事態を引き起こすほど無分別では無いようではある。
かろうじてだが・・・。
それでも武士の在り様としてそれはどんなものか、と問いたくなる行いを
時にやらかすあたりは似た者夫婦と言えるかもしれない。
今も何やら怪しい動きをしている大きな背中を眺めながら、斎藤が溜息を吐いた。


「あ、沖田先生!」

屯所の建物から出てきたセイが大階段を上ってきた夫を見つけて呼びかけた。

「セ、神谷さん。今から帰りですか?」

「はい。今日、先生は夜番ですよね? お疲れ様です」

「貴女こそ、気をつけて帰ってくださいね。そろそろ日も暮れかけてますし」

そっとセイの肩に伸ばそうとした手を押し留める声がかけられた。

「大丈夫だって。俺がきっちり送ってってやるよ」

「原田さん・・・」

「本当は一刻も早くマサが待ってる家に帰りてぇんだけどな。
 まぁこれも勤めだ、面倒だが仕方ねぇ」

イタズラめいた顔は語る言葉ほど面倒そうには見えない。

「だから一人でも大丈夫だと言ってるじゃないですか」

原田の言葉に不服そうにセイが唇を尖らせた。
総司の妻となってからも屯所での裏方の手伝いを続けているセイは、昼前には
家の事を片付け、昼近くには屯所に現れて仕事をこなす。
毎日という訳では無いけれど屯所へ来ればやるべき仕事は出てくるものだ。
ついつい気づけば夕刻になり、総司と共に帰るか、あるいは誰かに送られて
帰宅する事になる。
セイ本人は一人でも大丈夫だと言い張るが、沖田の妻という立場上
どこに不慮の事態が待ち構えているのかわからないのだから
周囲としては夕暮れ時に好きにさせる事などできない。

「我が侭言ってんじゃねぇよ。もうお前は腰に二刀を差してねぇんだぜ。大人しくしとけ」

ポンッと原田に背中を叩かれてたたらを踏むように二三歩前に出たセイが
そのまま総司に頭を下げて門を出て行った。
相変わらず原田と何やら言い合っているらしい背中をぼんやり眺める総司から、
じわりじわりと澱んだ気が滲み出す。
周囲の隊士達が怯えたように距離を取った。
それを見かねた男が渋々と声を掛けた。


「沖田さん・・・」

「はぁ? ああ・・・斎藤さん・・・何ですか?」

声に力は無いが眉間にくっきり皺が寄っている所から、内心の不機嫌さが見て取れた。

「何ですかじゃないだろう。アンタが不機嫌を振りまくと周囲が迷惑をするんだ」

「はぁ? 私、別に不機嫌じゃないですよ?」

「・・・・・・だったら、その眉間の皺は何だ」

斎藤に指で示されて、総司が自分の眉間に手をやった。
山脈のようにくっきり刻まれた皺を初めて自覚したのかコクリと頷き、次いで首を傾げた。

「あ、ホントですねぇ・・・」

「おい、アンタ大丈夫か?」

「はぁ・・・。あ、そろそろ巡察の時間だ。失礼しますね・・・」

相変わらず不穏な気を纏わせたままで、ふらりよろりと歩いていく背中を見送った
斎藤の眉間にも皺が寄った。


「やっぱり妙だよな。総司の野郎」

背後から歩み寄ってきた永倉が斎藤に問いかけてくる。
誰もが最近の総司の様子に違和感を感じていたという事だろう。

「ついこないだまでは物分かりの良い亭主顔していたってのに、
 急に独占欲丸出しになりやがるし・・・」

祝言から暫くは傍から見ていてもぎこちなさを感じさせる二人の様子だったが、
ある日を境に少しずつ男女の甘やかさを匂わせるようになった。
内情は聞かずとも不器用な二人だという事は誰もが知っている。
師弟関係から夫婦へと簡単に切り替えられるはずもなかっただろうから、
共に暮らす内にその辺りの違和感がようやく拭えたのだろうと周囲は考えていた。
だからそれは良い。
元々総司がセイに惚れきっていた事など、本人以上に周りが理解していたほどだ。
惚れた女子が妻となれば独占欲も湧くだろう。
けれどどうにも様子がおかしいのだ。

自分のものだと強調するようにセイに甘えかかりはするが、
セイに近づく男達に悋気を起こす訳ではないように見える。
勿論伊東や中村五郎に対しては警戒を怠らないし、相変わらず使い勝手の良い
駒として、隊務から私用まで好きに用事を押しつける土方に膨れる事も間々ある。
だが斎藤、永倉達や馴染んだ一番隊の隊士達がセイに近づこうと
特に何かを言いもしないし、嫌がる素振りは無い。
ただ時折、本当にふとした瞬間に不機嫌になるのだ。

斎藤の脳裏に先ほどセイが出てくる前に、大階段を上り下りしていた
総司の姿が浮かんだ。
あれはどう見てもセイを待っていたのだろう。
今夜は夜番で帰宅できないが、明日家に戻れば顔を合わせるはずの妻だ。
何もあんな場所で待ち伏せする必要があるとも思えない。
ふむ、と斎藤が考え込んだ。

「まあなぁ、総司は考えるのが苦手だし、自分の中にある感情が
 上手く言葉にならないのかもしれねぇからな」

永倉の言葉に斎藤も内心で大きく頷いた。
何かが心の内に渦巻いているのは確かだろう。
それが形をなさない事があの男の妙な行動の原因だとしたら。

「明日、少し沖田さんと話をしてみよう」

「おう、頼んだぜ」

ぽんっと斎藤の背中を叩いて永倉が離れていった。
先に結論へ至っていただろうに面倒事を自分に押しつけた永倉が
腹立たしくはあったが、放置できないのは性分だと諦めるしかないのだろう。
放置したところで、より大きな問題ごととなって目の前に現れるのは確かなのだから。
斎藤は大きな大きな溜息を吐き、明日の事に思考を切り替えた。





そして翌日。
夜番明けの自分を待っているであろう愛しい妻の下へと帰宅を急ぐ総司は、
待ち伏せていた斎藤によって茶店へと連行された。

「もう、何ですよぅ。私は夜番明けで疲れてるんですけど?」

だから早くセイの所へ帰りたいのだ、と総司はあからさまに顔に出す。

「わかっているさ。だから単刀直入に聞くが、アンタ、何が気に入らないんだ?」

「はい?」

前後の脈絡の無い斎藤の問いは、総司の中を疑問符で満たした。
疑問は会話へと神経を向けさせる。
帰る事しか頭になかった男の意識が、ようやく自分との会話に向いた事を
確認した斎藤が言葉を補った。

「最近のアンタの様子がおかしいのは誰もが知っている。唐突に不機嫌になるが、
 当然自覚はしているんだろう?」

「いやですねぇ、斎藤さんってば。何でも知ってるんですから・・・」

ふぅ、と肩の力を抜いた総司が苦笑を浮かべた。

「でも、私、そんなに不機嫌になってましたか?」

「ああ、この上なくな」

「参ったなぁ・・・」

「それで、何かあるのか?」

「何かっていうか・・・」

畳み込むような斎藤の問いに暫し視線をうろうろと彷徨わせていた総司だったが、
おそらく全てを語らなくてはこの場を解放される事は無いと観念して口を開いた。

「私の我が侭なんです。セイが、私の妻らしくしようと一生懸命なのは分かるんです。
 元々きちんと躾けられた娘でしたし、家の事も隊の事も不足無く勤めてくれています。
 ただ・・・」

口ごもった総司が手の中の茶碗をゆらゆらと揺らせば、中の茶が内心を表すように
小さく大きく細波を立てる。

「私ね、“神谷清三郎”が凄く好きだったんですよね。もちろん今のセイも
 大大大好きですけど。私の妻であろうとする意識が強すぎるのか、
 私の前ではもう見せてくれない“神谷”の顔を、みんなの前では
 相変わらず見せている。それが何だか・・・」

普通に聞けば馬鹿馬鹿しい惚気にしか聞こえない内容ではあるが、
斎藤は黙って聞いていた。
これは過去の二人を見ていた者でなければ理解出来ない感覚だろう。
上司の沖田と部下の神谷。
この二人が育んできた男女の枠を外れた繋がりは言葉で表現できる物ではない。
この男は婚姻という形で、それが途切れてしまったような不安を抱いてしまったのだろう。

「それを一番感じるのが、一緒に歩いている時なんですよね。
 武家の妻は夫の後ろを三歩下がって付き従う、なんて誰が決めたんでしょうね。
 道端に美味しそうなお団子屋さんがあって、その事を教えてあげようとした時にも、
 あの人は隣に居ないんです・・・。私が足を止めればあの人も止まってしまう。
 離れた距離はそのままで・・・」

それが寂しい・・・と言葉にされずとも斎藤には伝わった。
まるで子供の駄々のようだが、恐らくこれは幾つもある出来事のうちの
一つでしか無いと知れる。
今まで共有していたはずの温かな空間を失ったと感じているのだろう。
斎藤自身覚えがある感情だ。
総司の妻という立場になれば、無垢な瞳で「兄上」と慕ってくる事も無いだろうと
一抹の寂寥感を感じていた。
けれどセイは何も変わらず、今も自分に「兄上、兄上」と纏わりついてくる。
過去に培ってきた互いの関係は変わらない、それが嬉しい事を知っている。
それだけに総司の複雑な気持ちが理解できてしまうのだ。

「でもそれって私の時だけなんですよね。私が夜番とかで一緒に帰れない時は、
 誰かがセイを送ってくれるでしょう? そんな時は以前みたいに肩を並べて
 帰っていくんです。昨日だって・・・」

ああ、それであんな不機嫌な顔をしてセイと原田の背中を見ていたのかと、
ようやく斎藤にも合点がいった。
護衛として共にいるのだから至近を歩くのは最もだと当然総司も理解している。
それでも自分だけが違う立場に置かれてしまった疎外感を押し殺す事ができない。

「家の中では多少は違いますけど、屯所の中では私を立てるためなのか
 言葉を抑える事が多くなってる気がしますし。皆とは本当に普通にポンポン
 言い合ってるのに。私は言葉を飲み込むセイなんて嫌なんですけど」

セイが家で食事の支度をしているはずだからと、一皿だけに留めて注文した
団子の皿にも手をつけず、相変わらず茶碗を揺らしている男の姿に
内心の鬱屈が現れている。
黙って聞き続けていた斎藤がようやく口を開いた。

「それを神谷に話したのか?」

「話しませんよっ! だってこんなの私の我が侭じゃないですかっ!
 セイは武家の妻として当然の事を」

「神谷は“武家の妻”である前に“アンタの妻”だ。沖田さん」

話の途中で低く投げられた言葉に総司が口を噤んだ。

「確かに武家の妻らしくしろ、と周囲に言われているだろうし本人も意識しているだろう。
 だがそんな外から見た形よりも前に沖田総司という男がアレにとっては重要なはずだ。
 アンタが不満に思っている事を神谷が望むとでも?」

じっと考え込んでいた総司が静かに首を振った。
何かと口うるさい所もあるセイだが、総司の心が望まない事は押しつけたりしない。
何よりもまず総司を一番に考えるところは隊士時代も現在も、
全く変わっていないのだから。

「周囲が気づいているんだ。神谷がアンタの様子がおかしい事に 気づいてない
 はずがないだろう。アレの事だ、また妙な方向に不安が向かって暴走しかねんぞ」

「あっ!」

思いつめた時のセイは時にとんでもない方向へと思考を向けて、
予測できない行動に出る事が多い。
その事に思い至った総司が顔色を変えた。

「さっさと帰ってきちんと話をする事だ」

そっけない斎藤の言葉に短く礼を言った総司が店を飛び出していった。
目の前に残された団子の皿を眺めた苦労性の男は、
相変わらず面倒な二人を思って苦笑を浮かべた。





「セイッ!」

慌しく部屋に駆け込んできた総司の姿にセイが瞳を大きく見開いていた。
それでも一瞬の後には慌てて立ち上がって総司に駆け寄る。

「何か、ありましたかっ?」

総司の慌てように危急の事態でも起きたと思ったのか、セイの顔には緊張の色が見えた。
けれどそんな事に気を回す余裕は総司にも無い。

「出かけますよ!」

「は、はい?」

「今すぐ、一緒に、出かけます。支度を、してください」

聞き分けの無い子供に言い聞かせるように、一語一語区切って語る総司の言葉は強い。
何か余程の理由があるのかとセイが慌てて外出の支度を始めた。




「そ、総司様。痛いですっ!」

家を出てからぐいぐいと腕を引かれて歩いていたセイが、とうとう悲鳴のような声を上げた。
それでも総司の腕は離れず足が緩む事も無い。

「総司様っ!」

「ここです」

腕を振り払おうとしたセイの声と同時に総司の足が一軒の家の前で止まった。

「・・・ここは・・・?」

『西洋伝方写真処』

見慣れない看板の文字に小首を傾げるセイに総司が説明する。

「ポトガラヒーを撮ってくれる店です」

「ポ、ポトガラッ?」

セイの頬が強張った。

「そ、それって魂を抜かれるとかいう・・・」

「そんな馬鹿な事を信じてるんですか? だったら松本先生は今頃生きちゃいませんよ」

「え?」

「こちらの大坂屋与兵衛さんは松本先生の知る辺だそうです。ごめんください!」

セイに説明しながら総司が店の中へと声を掛けると恰幅の良い男が現れた。

「これは、沖田センセ。今日は・・・」

「ええ、お話していた事、お願いできますか?」

「へえ。勿論かまいまへん。どうぞ奥へ」

何やらすでに打ち合わせてあったようで、知った家とばかりに先を行く総司の後を
セイが慌てて追った。


「貴女はこれに着替えてくださいね」

家から抱えていた風呂敷包みを総司に渡されたセイが中を開いて息を飲んだ。

「これ・・・」

「ええ。貴女が以前着ていた隊服です。ちゃんと大小も持ってきてますから」

どういう事だと問いかけたセイを布の帳の奥へと押し込みながら、総司が説明を始めた。

以前新選組を語る浪士に襲われていたここの主人、与兵衛を助けた事。
けれど賊が新選組と名乗った事で総司までその一味だと誤解され、
少々酷い目に合わされた事。
誤解が解けた時に恐縮した与兵衛が、侘び代わりにポトガラを撮る事を申し出た事。
どうせだったら一人で撮るのではなく妻と一緒にと願って、今に至る事。

事情は理解できたが、それと今の自分の姿が結びつかないセイが
それを尋ねようと布の帳を引き開けた。

「ああ、神谷さんだ。懐かしいなぁ」

勢い込んで問うつもりだったセイの口は開く事ができなかった。
眼を細めて自分を見つめる男の姿が、あまりに嬉しそうだったからだ。

「でも、少し足りないですよね」

武士姿に女髪ではあまりに奇妙だろうと、結い上げた髪を下ろして
背中で纏めていたセイの頭にスポリと何かが被せられた。
肩を抱いた総司に促され、そのまま背後の鏡に向かい合う。

鏡の中には頭に月代を戴き、黒い隊服姿で立つ神谷清三郎の姿があった。

「はい、これも」

差し出された大小を流れのままに自然な動作で腰に差す。
隣には同じく隊服に身を包んだ男が立っている。
その手がセイの頭に伸びた。

「ん〜・・・。やっぱり鬘じゃ、ショリショリって感覚は無理ですねぇ」

セイの頭に被せた前髪の若衆仕様に作られた鬘の月代を撫でながら総司が呟く。
鏡の中でセイの表情がくしゃりと歪んだ。

「な、何で・・・こんな事を・・・」

「“神谷さん”に会いたかったから」

少し首を傾げて頬を掻く仕草は照れている時のこの男の癖だ。

「可愛くて仕方が無かった弟分の姿は、今もこの胸の中に刻まれていますけど・・・。
 形にして残せるならそれも欲しいと思ってしまったんです。駄目、ですか?」

不安げに尋ねてくる総司に向かって、ここまで支度をさせておいて
駄目も何も無いだろうと内心で思おうとも、セイには言えない。
代わりに。

「駄目なんて言っても聞かないクセに!」

そんな憎まれ口が出るのも、懐かしい姿のおかげだろうか。
全くもう、沖田先生は我が侭なんですから、と膨れながらも
どこか嬉しそうなセイの様子に総司も胸を撫で下ろした。

本当は与兵衛がポトガラを撮ってくれると言った時、夫婦としての姿を映して
江戸にいる姉に送ろうと考えたのだ。
志を胸に抱いて江戸を離れた弟の身を常に案じているだろう姉だから、
自分の元気な姿と共に生きる事を決めた女子を見て安心して欲しいとも思った。
けれどそれ以上に、恐らく二度と見る事は敵わないだろう愛しい弟子であり
弟分の姿を、なろう事なら残したいと考えたのだ。
結局自分の我が侭を優先した事を心の中で姉に詫びながら、総司はセイを促して
与兵衛に指示された場所に立った。

「ど、どんな顔をすれば良いんですか?」

セイがおどおどと総司に尋ねるが、総司は「神谷さんらしく」と言うだけだ。
そして敵に向かうような緊張感を漲らせてレンズを睨みつける少年と、
余裕綽々の笑みを浮かべて唇を吊り上げた青年が、
揃いの隊服に身を包んで一枚のポトガラに写し撮られた。

それは在りし日に、京の町中で度々見られた姿だった。







「もう、本当に何を考えているんですか、総司様は!」

撮影を終えて「着替えますから」と言う言葉を許されずに、そのままの姿で
与兵衛の家から連れ出されたセイが、困ったように総司を見やった。
セイにしても身に馴染んだ隊服は懐かしいと思うけれど、こんな姿で町を歩いて
誰かに会ったならどう言い訳すれば良いのかわからない。

「いいじゃないですか、私は嬉しいですよ?」

何が嬉しいと言うのだ、と聞けないほどに確かに総司は嬉しそうだ。
そんな顔を見てしまえば総司に甘いセイは何も言えなくなる。
言えなくなるどころか、自分まで嬉しい気持ちになってしまうのだから
困ったものかもしれない。

「・・・・・私も、少し嬉しいかもしれません」

ぽつりと告げられた言葉に振り返った総司が、セイの視線の先を見止めて
笑みを深める。
そこにあるのは繋がれた手。
与兵衛の家からずっと総司に握られた小さな手の平が、きゅうと力を増した。

「久しぶり、ですよね? 貴女が嫌がるから・・・」

「違いますっ! 嫌がっていたんじゃなくて!」

「わかってます。それが武家の習いだからというのは。
 でも寂しかったんですよ、私は」

総司の言葉に滲む感情にセイが俯いた。
自分だって寂しかったのだ。
並んで歩いて、時には手を繋いで、隊士の時には自然にしていたそんな事も
もっと近しい存在になったはずの今の方が難しくなってしまった。
確かにより親密な触れ合いが許される事に喜びもあるけれど、微笑みながら
他愛無い会話を交わす時間も幸せだと知っているから。
そんな時間を失ってしまった事が、時に切なく感じていた。
総司も同じだったというのだろうか。

考え込むセイの手を握っていた自分の手を、総司がブンッと振った。

「私が我が侭だって事は誰よりも貴女が一番知ってますよね?」

セイがこくりと頷く。

「私はあまり欲しいモノなんて無いですけれど、その代わりコレと思ったら
 我慢できない性質らしいんですよ」

人気の無い小路に入ったところで総司が立ち止まり、セイと向き合った。

「模範的な武家の妻なんて欲しくありません。私はセイと神谷清三郎、両方が欲しい。
 もちろん今更剣を握って欲しいわけじゃない。できればそんな事とは無縁でいて欲しい。
 でも・・・」

一度言葉を切った総司が包み込むようにセイの背中へと片手を回し、
繋いだままの手に力を込めた。

「“神谷さん”と育んできた私達らしさを失いたくないんです」

「沖田先生・・・」

セイの瞳から涙の雫が零れ落ちた。

「・・・そんな事を言ったら、以前みたいに屯所で怒鳴りつけますよ?」

「かまいません」

「・・・稽古、サボらせてあげませんよ?」

「遅刻はしてもサボッた事なんて無いでしょう?」

「・・・隠してる甘味、取り上げますよ?」

「えっ? それは・・・」

一瞬情けなく眉尻を下げた総司だったが、すぐに笑みを浮かべてセイを覗き込んだ。

「良いですよ。その代わり、以前みたいにこうやって手を繋いで
 甘味処巡りに付き合ってくださいね!」

「そんな事をしたら、誰に何を言われるか!」

「かまわないって言ったでしょう? 貴女は私の妻なんです。私が望むんですから
 何も問題はありません。誰にも何も言わせない」


だからセイはセイのままでいて良いのだ。
そして二人が今まで作り上げてきた愛しい距離感を、歪める事無く守っていきたい。
総司らしく、セイらしく、在り続けるために。

そんな総司の願いは当然セイにも伝わった。
男と偽り白刃を振り回していた女子を妻にしたと総司が謗られる事の無いように、
誰にも非難される事のない妻であろうと気張っていた肩の力が緩やかに抜けていく。
抱え込んでいた重圧が消え、穏やかに自分を見つめる男の深い愛情が
セイの内を満たしていった。

だから。

ゴシゴシと涙で濡れた瞼を擦ったセイが総司の手を引いて歩き出した。

「全く。沖田先生は我が侭なんですから。葛きりもおぜんざいも十杯までですよ!」

神谷の声で、神谷の言葉で、可愛らしく可愛く無い言葉を告げる。
優しい手の温もりからセイの想いを受け取った総司が、数歩を詰めて隣に並んだ。

「良いですよ。私が十杯、セイも十杯。貴女が食べ残した分は、夫である私が
 責任をもって片付けますから」

「ちょ、それじゃ意味が無いじゃないですか!」

「いいんですっ! はい、決定!」

「“決定”じゃないですっ!」

「あはははっ」

夕景の中を楽しげな二つの影が歩んで行く。




それ以来、西本願寺近辺では手を繋いで歩く武士とその妻の姿が
度々目撃されるようになる。
初めはそれを奇異の目で見る者も居たが、そのうちそれが日常の風景となり、
ふたりが距離を保って歩いていると夫が何やらの失態をしでかしたのだろうと
誰もが含み笑いをするようになった。

そしてあの日に撮られたポトガラは、後に二人の間に出来た子供達に
大いなる衝撃を与える事になったのだった。





カウンター八万打の感謝リクエストで声をかけてくださったまゆ様へ進呈。

リク内容は『誤解が解けて想いが通じ合って、ややができるまでの間のらぶらぶーな話』
・・・・・・ら、らぶらぶ?
欲張り黒ヒラメが「妻(花・桜)も弟子(剣)も両方私だけのモノなんですっ!」と
我が侭全開で愚図る話になってしまいました、よ、ね・・・(汗)
まゆ様、ごめんなさい。

原作がポトガラをネタに進行していたので、絡めてみました。
後に母の雄姿(?)を見つけた子供達(特に総三郎)は
あまりに違和感の無い母の男姿にクラクラするのです(笑)
そして男女としても師弟としても、母に似合う父に敵愾心を燃やせば良い。
なんて、ね(爆)

まゆ様、リク内容から少しばかり(?)外れてしまったブツですがお許しくださいませ。
背景以外はお持ち帰りOKですのでご自由になさってください。
リクエスト、ありがとうございました(礼)